虐待&いじめられっ子が脱サラ後に年商3億,資産1億超を達成、コンテンツビジネスでも月100万突破。地獄から自由を得た軌跡を語る

「神様・・・たすけてください・・・」

 

雪が舞い散る極寒の冬の夜、
裸で外に放り出された幼少期の私は
震える体で
神に祈る事しかできなかった。

しかし、この世に「神」などいなかった。

 

日常的に父親から暴力を受け
怯えながら生きていた日々。

殴る、
木刀で打たれる、
訳も分からず怒鳴られる。

なぜ、この様な地獄の苦痛を受けるのか?
当時の私は知る由もなかった。

 

時は「校内暴力」全盛期。

幼少期を家庭生活も社会生活も
暴力に怯え(おびえ)ながら
絶望の中、ただ、ただ

私は「死んだように生きていた・・・」

 

 

この文章を読んで頂いている
あなた様。

初めまして 「京介」と申します。

 

私は辛い幼少期を経て、
「昭和」、「平成」、「令和」と
「失われた30年」
もがき苦しみながら生きて来ました。

 

そんなド底辺の生活をする中、
起業」と言う大大チャレンジをして

一つの「成功」、
ゴールを勝ち取りました。

 

私が考える「成功

それは、何物にも代えられない、
数多(あまた)の人類が共通に求めているもの・・・

「安心感」を得る事です。

 

安心して生活するため
安心して「生きていく」ために必要なもの

 

それは

生活に困らない潤沢な  「お金」

会社に拘束されない   「自由な時間」

過ごしやすく居心地の良い「場所」

ストレスを感じない   「人間関係」

 

と私は考えています。

私は今、限りなくストレスフリーな
安心のある人生を手に入れています。

 

 

脱サラして起業した事業は10年かけて
年商3億円に到達しました。

従業員約100名
福祉事業会社 年商1億4千万
飲食事業会社 年商9千万
コンサル事業 年商7千万

下記画像はメイン事業の決算書です。

現在は、コンテンツビジネスで
100万円の収入をほぼ労働することなく
得ています。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまで事業を拡大するのに
10年の歳月が流れました。

私が実業で年収1千万を稼ぐために
10年の命の犠牲が必要だったのです。

 

現在は「ネットビジネス(コンテンツビジネス)」により

「10年」かけて

実業で築き上げてきた実績を

たった1年」で

簡単に追い越してしまいました。

 

実業で月に
100万円の営業利益を出すために
どれだけ大変な作業とコストが
かかるでしょうか。

コンテンツビジネスでは
100万円の営業利益を「自動」で
かつ「完全放置」で得ることが可能です。

実業の大変さを知るからこそ、
コンテンツビジネスの
「利益率」のエグサ!
に日々驚いているところです。

 

SNSやWebビジネスに関しても
だいたい網羅出来ているので、

紹介頂いた年商1億~30億ほどの
実業経営者に対して
アドバイスも行っています。

 

例えば、
ある企業様にSNS運用代行を
月額20万円(サブスク)で行ったり、
1時間10万円の個別コンサルティング
を行ったり等です。

いくつかの事業を複合的に行い、
SNS、ブログ、メルマガを通して
私が得る事の出来た「安心感」、

殺伐とした現代を
勇気をもって乗り越えていく
方法等を皆様にシェアをしています。

 

なぜ実業からインターネットビジネス、
中でも「コンテンツビジネス」に
代わり情報発信をしているのか・・・

それは、
同じ時代を苦しみながら生きて来て、
もしかして今も
苦しみもがいて生きている方々。

将来に希望を見いだせない若者たち。
そんなかつての私と同じ気持ちで
悩んでいる方々に

●生活に困らない潤沢な  「お金」

●会社に拘束されない   「自由な時間」

●過ごしやすく居心地の良い「場所」

●ストレスを感じない   「人間関係」

これらの「安心感」のある人生を
送ってもらいたい!!!

と「本気」で思っているからです。

 

世の中には、私より優れた方々は
たくさんいるはずです。

私が出来た事ならば
必ず「あなた」にも出来る!
私はそう確信しています。

しかしながら・・・

ここまでお読みになり、
京介は運がよかったのだろう、
京介だから出来たのだろう・・・

そう思われても仕方ありません。

逆の立場で私が読んでも
疑ってそう思うはずです。

 

そこで
箇条書きではありますが
私を少しでも理解して頂きたく
簡単に自己紹介をさせて頂きます。

 

・脱サラして10年かけて年商3億に到達

・事業売却M&Aをして億単位の資産を得る

・メンターと
インターネットビジネス(コンテンツビジネス)
に出会い1年で月収100万円の事業に成長

・ほぼ自動化で収益が上がるシステムを構築

・時間が余り過ぎるという贅沢な悩みが発生

・温泉や旅行、テニス、ツーリングが趣味

・「保育士」の免許持っているので
子育てのアドバイスも出来ます

・洋菓子、和菓子、甘いものが大好きで
「クリスピークリームドーナツ」と
「イチゴ大福」が好物です。

 

 

繰り返しますが
私より優れた方々はたくさんいるはずです。
私が出来た事ならば
必ずあなたにも出来る事なのです。

私はかつて、人生に疲れ果て、
自害しようと生きる希望を
失っていた事があります。

 

それでも、ビジネスを知り、
幸福の意味を知り、
正しい方向に歩みを進めた結果、
今があります。

今の状態になるまでの道筋は
「50代でもできるコンテンツビジネスの聖典」という
過去に1日で300部売れた
電子書籍にまとめているので、
ご興味があれば読んで頂けると幸いです。

 

さて、もう少しだけ
私の「ひととなり」を知って頂き、
どの様にして
安心感」のある人生を得られたのか?

 

あなた様にもわかりやすく
恥ずかしながら赤裸々に
年表にてご紹介させて致します。

京介プロフィール年表

・0歳、青森県下北郡風間浦村(漁村)に生誕

・4歳、私は生まれつき「赤毛」現在でいう茶髪、
「色白」だったため、目立つ風貌でした。

田舎では格好の「いじめターゲット」に。
毎日、幼稚園バスに「行きたくない!」と
泣き叫びながら抵抗するが、
羽交い絞めにされバスに強制連行。

・6歳、小学校に上がり「名前」が変
という理由で またいじめに合う。

そう、私の下の名前は現代でいうところの
キラキラネーム」。

実際は「珍名奇名」
日本人には2人といないヘンテコリンな名前。

親との会話がほとんど無かった私は
コミュニケーション言語を知らず
友達と楽しいおしゃべりが上手く出来なかった。

いつも独りぼっちな日々。

・8歳
日常的に父親からの虐待を受け、
命の危険を常に感じる。

勉強も強要され、
正座になり
勉強しろ!勉強しろ!勉強しろ!」と
「木刀」で殴られながら勉強をする。

 

おかげ様で、勉強が大嫌いになる。

夫婦喧嘩も日常茶飯事。

ある日の夕刻、
小学校から帰ってくると
包丁を持ったまま
血まみれになった
両親が部屋の中で倒れていた。

気の強かった母親が
父親のDVに対し反撃に出たらしい。

幼かった私は呆然としながらも
隣の家に駆け込み
助けを求め、その後の事はよく覚えていない。

 

40年以上経ってもあの時の惨状が
脳裏から離れない。

・12歳、中学校に入り校内暴力
怯え(おびえ)ながらの生活。

不良という者はどこにでもいるもので、
いじめのターゲットにならないように
コソコソ生きる毎日。

そんな殺伐(さつばつ)とした
学校生活の中で一筋の光を見出す。

テニス

中学校では軟式テニスでしたが・・・

部活動に勤しみ(いそしみ)
親からと校内暴力からの
ストレス発散を行い、
心の安静をはかっていた。

・16歳、高校生になったが、
体が細身で気も弱かった私は
身長185センチもある
父親に立ち向かう勇気もなかった

相変わらずの虐待行為がある中、
毎日学校へ通って部活動に明け暮れていた。
なるべく家で親に遭遇(そうぐう)しないためだ。

その甲斐あって高校時代はなんと
皆勤賞」を取ってしまった。
学年で450人中12名。

風の日も雪の日も休まず学校に通った事は
今となっては心のわずかな自信となっている。

・17歳、この頃になると
私は暴力を振るう父親に対して
殺意」を抱くようになっていた。

それは自分の命を護るためという理由を付けて

「いつか殺してやる!」
「いつか殺してやる!」
「いつか殺してやる!」

そんな想いで毎日を耐え忍び、
殺すタイミングを待っていた。

しかし、その思いは叶わず未遂に終わった

 

父親は突然、肝臓癌(ガン)で死んだのだ。
酒の飲み過ぎだ。

 

弱っている様子は分からなかった。
出会わないようにしていたから。

親が亡くなる・・・

あなたならどの様な感情を抱くだろうか?

 

この時の私の正直な気持ちは
皆様には不愉快だろうが、許してほしい

「ざまあみろ!!!」だった。

 

命の危険がなくなる「安堵感

まるで洞窟の中で出口を見失い、
やっとの思いで一筋の明かりの先に
出口を見つけたような希望の光。

この時、

生まれて初めて「生」を感じたのかもしれない。

 

ここからの人生はタガが外れている。

学校で禁止されている
「金髪」&「パーマ」
「酒」「たばこ」「万引き」「カツアゲ」
「暴走」・・・

不良グループに交じり、いけない事を
一通りやってしまった。

反省しています・・・

・19歳、高校をなんとか卒業は出来たが
やる事も無く、

家族との訣別の想いもあり、
「いじめの原因」でもあった
名前を変える「改名」の手続きを
家庭裁判所にて行った

 

そう
「京介」とは
私自身が付けた名前なのだ。

 

誰にも馬鹿にされることのない名前。
かっこいいですねって言われる名前。

他人に馬鹿にされるような名前を付けられれば
生まれながらに不幸をしょい込む事になる。

 

キラキラネームを付けるような親は
子供の人生など考えておらず、
自分の満足とエゴを押し付けているのだ。

・20歳、やはりやる事が無かったため
大学に入学する事にした。

予備校に通ってなんとか3流大学に
入学する事が出来た。
4年間の「モラトリアム

学費は死んだ父親の遺産を母親に出させた。

この4年間で学んだ事など
何一つ無い」と言える程
何も記憶に残っていない。

・24歳、 バブルが崩壊し、
当時スーパーゼネコンと呼ばれていた
(大林組、鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店)
でさえも新卒採用が厳しい時代。

地元の建設会社の現場監督に就職。

真面目に働くつもりで、
真面目に働いていた。

しかし、3か月で解雇

英語でいうところのFire(ファイヤー)です。
現代のお金を貯めての早期リタイアのFireと
意味は違いますが・・・

人事部長様があまりにも理不尽に怒鳴るので
つい反射で胸ぐらを掴んでしまった。

反省はもちろんしていますが、
親からの虐待を受けていた後遺症だと思っています。
理不尽な「暴力」を許せないのです。

 

そしてここからド底辺の
フリーター人生スタート

雇用保険をもらいながら
仕事先を探す

工場夜勤、日雇いのアルバイト、
屋台試食販売、教材販売営業・・・
時給で働く日々。

情報源が「フロムエー」だったので
稼げる!という求人に金欲しさに食いつき
労働搾取される。

・25歳、金が欲しかったので、
ホスト」をいう安易な選択をしてしまう。

新宿歌舞伎町「愛」本店

当時全国一有名なお店。
ガブガブいっちゃうよ~で有名だった
「零士」さんがいた時代。

月収10万ぐらいで先輩の家に
お世話になりながら2年ほど頑張るも
うだつが上がらず
逃げるように辞める。

・27歳、ホスト時代に出会った客と
出来ちゃった結婚

将来の事など何も考えてらず
行き当たりばったりの人生。

・28歳、まだ1歳にならない子供を
置き去りの「育児放棄」。
母親とはそれっきり。

私も彼女もそうでしたが、
家庭環境に恵まれなかった人は
まともな「人格」にならない・・・
(もちろん例外もいるでしょうが・・・)
いきなりの
バツイチ父子家庭の出来上がり。

ミルクをあげ、風呂に入れ、保育園に連れていく。
子育てを解らないながらも一通り行う。
生きる事で精いっぱい
夜泣きがひどい時は流石に精神崩壊寸前になる

そんな目の前の事しか考えられない不毛な日々。

・29歳、サラリーマン復活。
人材派遣会社に登録し、
派遣先で正社員として就職

子供を養う必死な気持ちが
面接官に伝わったのだと思います。

この就職が出来なければ、
フリーターのような生活が
続いていたのではないか・・・

結果的には人生の転機。
これに関しては運がよかった。

この時の年収約300万円。

・37歳
子供を育てる為、ガムシャラに働く。
息子が高校生の時は
毎日、お弁当を作る。

仕事のストレスで
血尿が出て、
胃潰瘍で入院の惨劇。

生きるために「必死」な人生

お金を稼ぐ方法を知らず、
会社勤めをしていれば、
お金に困らないと思っていた。

しかし、
どんなにどんなに
命を削る思いで働いても、
口座残高が増えない。

全て生活費で消えてゆく。

ここでバカだった私は
初めて異変に気づく。

働いても働いてもお金が増えない事に。

この時の年収420万円。

 

そう、お金を持っている人たちは
「雇用」する側であり、
「雇用」される側は往往にして金が無い。

お金に困っているという表現が
分かりやすいでしょうか。

 

一念発起、「起業」を決意。

何をしたらいいかも分からない。

右も左も分からない状態のまま
模索をしていると、
あるコンサルの募集に目が留まる。

 

時代は介護保険が発足し
保育所不足が騒がれていた。

福祉施設の「補助金ビジネス」

人生の勝負を賭けこの波に飛び込んだ。

自己資金も無く、
政策金融公庫での借入も難航を示したが、
なんとか事業をスタートする事が出来た。

事業開始当時は集客が無いため、
チラシのポスティングを1日1,000件。

年間4万枚ぐらいを
夜中の1時ごろから3時間ぐらいかけて
マンションの管理人に見つからないように
行った。

24時間365日働いているかのような感覚

 

そんな努力が実り、2年目以降は軌道に乗り
施設も増加していく。

組織が大きくなればトラブルも付き物。

 

人出不足
従業員同士のいざこざ
お客様のクレーム・・・

この人間関係のトラブルが
とてもとてもストレスになる

従業員の雇用を守る責任感もあり

役員報酬も100万~200万と
稼ぐことは出来るものの
とても

「幸福感」を感じる
余裕も無い不幸な人生

・48歳
事業も成熟し会社を3社経営。
従業員約100名
福祉事業会社 年商1億4千万
飲食事業会社 年商9千万
コンサル事業 年商7千万

50歳近くになるまで過去を振り返らず
ただひたすらに突っ走って生きてきた。

一人息子も成人し、巣立って行った。

そして、ふと一人になった時に
「もう死んでもいいな・・・何か疲れてしまった」

 

 

こんな想いに生まれて初めて襲われる。

軽い鬱(うつ)だったのかもしれない。

ホームセンターで練炭を購入し、
自殺の計画を立てていた。

 

結果的には私は今も生きており
「自殺」をしませんでしたが、

何か当時の私に「自殺」を
躊躇(ちゅうちょ)させる
何かがあったのだと思います。

100人を超える従業員を路頭に迷わせる事が
心苦しかったのかもしれません・・・

 

・49歳
事業売却し億単位の収益を得る
3社のうち2社を売却して清算。

 

「辛い人生から逃げたかった・・・」

タイやフィリピンの片田舎で
残りの余勢を静かに暮らしたい・・・

そんな生きる気力もない
生ける屍(いけるしかばね)に
なり果てていた。

・50歳
インターネットビジネスを本業とする
ある信頼できる「メンター」との
運命的な出会い。

金儲けだけではない
本当の幸福を考える
「きっかけ」を頂いた。

 

それが無ければ
インターネットビジネスにも
関わっていなかったでしょう。

生きる気力も湧いてこなかったでしょう。

 

お金を稼ぐつもりではなかったのですが、
信頼できるメンターの指導の下、
たった3ケ月で
完全自動で粗利益が月100万単位で発生

今までの実業ではありえない利益率

こんなにも

こんなにも

言葉は悪いが
楽して稼げる」世界があるのか!
100万円を純利益で稼ぐのにどれだけの
苦労をしてきた事か!

 

ITの世界にある「可能性」と
暴力的な程の収益性。

 

それを嫌というほど叩きつけられた。

こんな世界があるのか・・・

あるのだ!!!目の前に!!!

「私の今までの人生ってなんだったの?」

 

世の中には、情報を知っているだけで
苦しまずに生きている人たちが
人生を謳歌している人たちが
こんなにもたくさんいるんだ・・・・

なんか凄く悲しい気持ちにもなりました。
失った時間は戻ってこないから

 

 

私は信頼できる「メンター」と共に

この「世界」にある
可能性」を「安心感」を
求め彷徨って(さまよって)いる方々に届け、
私と同じ「幸福感」を感じてもらいたい。

私のように、
生きる気力を失ってしまった方々にも
生きている喜びを感じてもらいたい。
遠回りしてほしくない。

 

 

それを私の使命として生きています。

いや、生かされているのです。

これが私が生きてきた半世紀です。

かなり遠回りな人生を送ってしまいました。

ここまで読んでくださり
大変恐縮でした。
ありがとうございます。

 

 

人生は「有限」であると強く意識するために考えた事

私は50歳になるまで
明日突然死ぬかもしれない・・・

いつか死ぬなんて
考えた事がありませんでした。
(自殺は別として)

しかし、

スマホの小さい字が見えない

段差のないところでつまずく

ろれつが回らない

歩くだけで息が上がる

全身のあらゆる所に白髪を発見する

尿漏れ注意

スーパーのビニル袋も
手がカサカサでめくれません

 

これらの老化現象を感じながら

あれ、・・・
体が思うように動かない、

いろいろな事が思い出せずに

「あれなんだっけ?」
「あの人だれだっけ?」
「いま何しに来たんだっけ?」
みたいな事が続き

「若さ」という財産を
爆速で失っている自分に
大きな喪失感を感じたのでした。

人生100年でも「快活」に
元気に活動できる残された時間は少ない

 

そうです
私たちのほとんどが
「死ぬ」ことを意識していない

だから「有限の時間」を大切に思えないのです。

 

下記、私が想う「死」に対する心構えです。

 

「死を想え」
(メメント・モリ)という有名な格言があります。

ローマ時代の文人たちは、
書斎の机の上に髑髏(どくろ)を
飾ることを習慣としていて

その有様を描いた西洋絵画も
多数存在します。

いつかは自分もこうなるのだと
嫌でも自覚するように、

毎日眼前に不気味な置物を置いて
眺めていたと言う風習。

世の中には「絶対」は無いと言うが、
あえて1つあるとすれば、
人は生まれて絶対に「死ぬ」のだ。

いつか死ぬこと、
どんなに医療技術が発展しようが
それ自体は避けられない。

 

そして、
それがいつやって来るかもわからない。

人間である以上、
誰にとっても死は運命に
左右されるものだから・・・。

エジプトでも中国でも
「不老不死」は、
昔から王侯の見果てぬ夢・・・。

 

いつか自分は必ず死に、
この世から消滅すると想えば、
いたずらな欲求に
振り回されることはないでしょう。

死を想えば、
地位や名誉など、
これらを得るために
人生を棒に振ることが

どんなに限りある人生を
無駄にしていることかが
わかるのではないでしょうか。

 

・本当の幸せとは何か?
・自分が人生で成し遂げたい
信念は何なのか?

死を眼前に置くことで
(人生が有限であること)
大切なことが見えてくる。

 

私は50歳にもなって
ようやくそこに辿り着いた。

これを読んでいるあなたは今、
それを意識できているだろうか?

 

何度も言いますが、
人生は「有限」です。

たった一度の人生なのだ!

たった一度の有限な人生で
あなたも「生きづらさ」
感じてはいませんか?

 

人間関係、
不遇な環境、
子育て、
病気、
格差等々・・・

 

 

感情に振り回され、
人間関係に思い悩み、

自らの境遇を嘆き悲しんで、
これからどう生きていくのか。

自由に幸福に生きる」ことに
憧れを抱くが、
どのようすればよいのか?

人生の節々で感じる「生きづらさ」は
誰にもあります。

親からの虐待
生まれた時代の不遇
会社の解雇
離婚
父子家庭
ブラック企業

様々な経験を経て、
私は自分の人生について改めて考え直し、
行動し、自由を得ることが出来ました。

 

ソクラテス曰く、

人は幸福に「なる」のではなく、
すでに幸福で「ある」

そのことを知った人は、
幸福になるために
何かの実現を待たなくても、
日常の瞬間に
幸福を感じることができるだろう。

 

自由という夢を希望にし、
ゆとりのある暮らしを実現する。

しかしながら現代社会では、
ある程度の「お金」がなければ
「幸福」を感じられない

のではないでしょうか?

 

その為の手段である
「起業」「コンテンツビジネス」。

私は、
あなたと共に「限りある命」を「人生」
謳歌出来る事を切に望んでいます。

 

人生を逆転させる為にはビジネスを正しく学ぶ事!

ここまで読んで頂いたあなた様は
ビジネスに対して、

「でも難しそう・・・」
「なんか怪しい・・・」
「この年でリスクはなぁ・・・」

という思いも御有りでしょう。

 

もしくは、
元から才能がないと成功できないのでは?
と思うかもしれません。

わかります

私もメンターに合うまでは
インターネットビジネスなんて
胡散臭い(うさんくさい)と思っていました。

ただ、
私の人生で培った(つちかった)
真理をお伝えすると、

どんな状況からでも、
正しく学び、
正しい方向性で、
正しい努力をすれば、
必ず成功できるのです。

 

これはメルマガの中で解説していますが、
今は時代が変わったので、
「オンライン起業」「ネット起業」は
そんなに難しくはありません。

私自身、地頭がそんなに良くはないし
自己紹介でもあったように
コミュニケーションが苦手な人間です。

これは私に限らず、
個人のクライアントさんも同じです。

パソコンを持っていなかった40代の専業主婦
スキルも実績もない大学生
工場勤務一筋20年の会社員の方。

月収2万、5万、とステップアップし、
10万、30万と稼ぎ始め
副業が本業を越える方もいらっしゃいます。

私も含めてみんな凡人だし、
ゼロからのスタートなのです。

 

成功を掴むために、
正しい情報を得て、知識と思考を磨き
あとはすでにうまくいっている先輩方の
真似をしただけです。

 

あと一つ重要な要素
それは
信頼できるメンター」を選ぶ事です。

これはとてもとても大事な事です。

 

私がインターネットビジネスで
成功できた要素の8割、
いや10割と言っていいほど大切な事です。

現代は、あらゆる情報を
インターネットによって入手できます。

一昔前は、いまも一部そうではありますが、
金を稼ぐ情報は金持ち同士でしか
情報が得られませんでした。

そのため、権力者や富裕層に
媚び諂い(こびへつらい)
コバンザメの様にくっつき
情報を得るしかありませんでした。

今の時代は、
インターネットの力で
誰でも気軽に有益な情報を得て
ビジネスが興せる時代です。

これは本当に凄いことなのです。

 

私のように初心者からでも、
インターネットを使って
ビジネスを興し
簡単に大金を稼ぎ
自由」を手に入れることが出来るのです。

実業のように固定費
人件費
家賃
光熱費等、
大きな維持費がかかりません。

サーバーやドメイン代ぐらいで、
月に数万円程度でしょう。

 

ちなみに私が飲食店を経営していた時の
費用は

月商800万のうち

人件費     280万
家賃      45万
光熱費     15万
材料仕入れ代  340万
その他支払い  30万
借入返済    40万

手残り額    50万

ざっくりこんな感じでした。

月に30日稼働させ、
従業員を管理し
店長を励まし
様々なトラブルを対処し
コロナの打撃も跳ね返す気力をもって
必死に頑張って
手残り 50万円 です。

一方で月の経費が数万円で
ほぼ放置しながら
上記の金額を簡単に越える
100万越えの利益が残ってしまう
コンテンツビジネス。

この凄さが伝わるでしょうか?

 

インターネットビジネス
(コンテンツビジネス)は
個人で完結し、固定費も不要

究極のビジネスモデル」であることを
私は実業の苦しさを知るからこそ
確信できるのです。

 

「あなた」にも私同様、
これらの「文明の利器」を活用し
真の自由と幸福を得ながら
残りの人生を謳歌する事が可能なのです。

これを読んでいる「あなた」が
その気になれば
今日からビジネスを開始できます。

私のメンターの周りでは
若干20代でインターネットを使いこなし、
年収3,000万、5,000万、1億・・・
信じられないような稼ぎ方をしている方々が
たくさんいらっしゃいます。

インターネットの世界では
これが普通、
これが日常の世界なのです。

 

私は、この「世界観」を多くの悩める方々に
知ってもらいたいと思っています。

私が自殺を考えてから
ここまで復活できたのも
真の自由と安心感のある人生を
送ることが出来るのも

このビジネスに出会えたからですし、
この素晴らしい世界を多くの方々が
知っていただけたなら、

日本は世界は
より豊かに平和になるのではないか?

そう思う今日この頃なのです。

 

 

 

人生100年時代の自由と幸福とは

失われた30年今も昔も
お金」に悩む人はかなり多いです。

生活の為、
借金返済の為、
お金のために働き、

ストレスをためて、
気持ちの余裕も無くなり

家族や友人関係にも支障をきたし、
あらゆることが徐々に崩れていきます。

 

お金で苦しむのは悲しいことですが、
お金を稼げば幸福になれるとは限りません

ただ、お金があることで
多くの不幸を回避できる事もあり
幸福はお金次第と言うのもある意味事実です。

 

 

身近な例で言えば、

お金と時間がある場合、
大型連休や週末の過ごし方を比較すると

どこに行っても混雑&宿泊費も割高で
疲れを癒すどころか余計に疲れて
やっぱり家がいいなんて
言いたくなるよりは、

平日に混まない
ショッピングモールでの買い物や
温泉に泊まる方が快適で幸福です。

 

家事がとにかく大変で
ご主人が
子育ても皿洗いも洗濯も
保育園のお迎えも
なにも手伝ってくれない場合、

家政婦さんを雇うことが出来たなら
どれだけ夫婦円満になる事でしょう。

 

残念ながら
ほとんどの不幸は
お金で解決、回避出来るのです

 

そして現代は人生100年時代に突入しました。

老後資金2,000万問題が
社会現象になりましたが、

年間、200万円で節約生活をしても
10年で底を尽きます。

もらえる年金額も月数万円程度では
とてもまともな生活は出来ません。

 

その前に、
そもそも2,000万円の預貯金を
毎月の生活費から捻出し、
作ること自体が難しいはずです。

 

お金の問題を最優先で解決しなければ
求める真の安心感(自由と幸福)
手に入りません。

 

正しい戦略をもって行動すれば、
3ヶ月で成果は出せます。
普通に生活するぐらいは稼げるのです。

私の周りでも、
会社員をしながら副業としてはじめて、
本業以上に稼いでいる人がたくさんいます。

 

そのまま脱サラして起業しても良いし、
数千万、数億の世界を目指しても良いでしょう。

時間や心に「ゆとり」が出来たら、
やりたいことを存分に出来ます。

 

ビジネスを学べば学ぶほど
本物の豊かさと自由を手にすることが出来ます。

昭和の時代ならば
「石の上にも三年」なんて
忍耐こそ全て!みたいな考えでしたが、
インターネットビジネスのスピード感は
3ケ月もあれば十分です。

どんな状況からでも、
正しく学び、
正しい方向性で正しい努力をすれば、
短い期間でも
劇的に人生を変えることが出来るのです。

ド底辺を彷徨って(さまよって)いた私が
ここまで来れたのです。

 

ぜひ勇気を出して、
新しい世界を覗いて(のぞいて)みてください。

 

私もしっかり手を差し伸べてゆくので、
軌道に乗ったら、ぜひ一緒に事業を行いましょう。

 

そして自由に幸福な人生を共に歩んでいきましょう。

 

これから新しく始める予定の事業や
社会にインパクトを与える仕掛けも考えています。

それらの未来を想像しながら
ほぼ毎日メルマガを書いています。

ブログは皆様がオープンに見られる
場所なので日記に近いものですが、
メルマガではもっと深い話や
実践的な内容を話しています。

 

無料なので、
ご興味がある方はぜひ登録してみてください。

 

メルマガ限定の企画を流したり、
不定期で懇親会を開いたりもしています。
私の素顔を晒す唯一の機会です。

 

具体的にどうやってビジネスに
取り組んで行けばいいか?

どうやったら自由になれるか?など、
時代が変わっても通用する本質的な話をしているので、
登録した瞬間からステージが一気に上がるとの
ご感想を頂いております。

 

なお、登録と同時に
過去に1日で300部売れた人気の電子書籍を
無料でお渡ししています。

 

これを読むだけでもステージが上がり、
レベルアップできるように仕上げています。

活字や読書が苦手な人でも、
寝る前にスラスラと読めると好評で、
約20分ほどで読み終わります。

ぜひお気軽に読んで頂けると幸いです。

 

それでは、ここまでお付き合い頂き
誠にありがとうございました。

 

 

初心者向け動画リスト

何からやれば良いか分からないという
初心者さんに向けて、動画リストをまとめました。

 

コンサルティングについて

最近、ありがたいことに
コンサルティングの依頼を頂くのですが、
現在は他のプロジェクト推進中の為
受け付けておりません。

ただ、
・他の誰にも負けないぐらいのやる気がある方
・どうしても世に広めて行きたい商品やサービスがある方
・やりたい夢があり、
一緒に事業を行いたい方などは、
何か別の形でお力になれる事があるかもしれません。

その場合は、メルマガの中で
熱い思いを込めたご返信をお待ちしております。

 

 

教え子の起業仲間とクローズドの温泉合宿に行きました

2024年3月15日

1日で300部売れた人気の電子書籍が読めます

私は実業で年商3億・2社売却した後、
ゼロからコンテンツビジネスに出会い、
50代でも月収で100万円以上を自動的に稼いでいます。

環境や才能に恵まれたわけでもありません。


もともと虐待やいじめを受け
精神的に未成熟なまま
ド底辺のアルバイト生活を
送っていた私です。


そんな私が、
コンテンツビジネスとメンターに出会い、
正しい方向性で少しだけ真剣に取り組んだところ、
簡単に本物の自由と幸福を得ることが出来ました。


コンテンツビジネスを学ぶ過程では、
コンテンツを作る方法や
価値を届ける方法など、
普通じゃ学べないことを知ることができました。


環境や才能に恵まれなかったとしても、
正しく学んで正しく実践すれば
だれでも活躍できると確信しています。


そして同じような人が増える事で、
失われた30年を乗り越えて
活気のある良い世界になるのではと
本気で思っています。


そのような理念から、
私がどの様にビジネスに取り組み、

今の資産を築き上げ、

生活に困らない潤沢な  「お金」
会社に拘束されない   「自由な時間」
過ごしやすく居心地の良い「場所」
ストレスを感じない   「人間関係」

を手に入れたか、
そのリアルな軌跡と成功体験を
一つの書籍にまとめています。


この電子書籍は
過去にSNSにて
1日で300部売れた人気の作品です。

現在、もう販売は停止し、
メルマガのなか限定で公開しています。


ストーリー形式のため
約20分程でスラスラと読むことが出来ます。
ぜひ興味があれば読んでみてください。


電子書籍「50代でもできるコンテンツビジネスの聖典」を読んでみる


メアドを入力すると受け取れます。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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