新卒で入社した会社を3か月でクビになり、暇なのでバックパッカーでアジアを旅した話

こんにちは京介です。

 

私はド底辺フリーターから脱サラし、

3社起業した後、事業を売却。

 

その後、ゼロからのコンテンツビジネスで

毎月100万越えのの不労所得を得ています。

 

紆余曲折いろいろあり過ぎた50余年。

かなりの遠回りをしてきた人生です。

 

この記事では、

 

・失敗こそが人生(七転び八起き)

・回り道しても大丈夫

・バックパッカーのバイブル

・日本人の幸福とは

・優良ビジネスはコンテンツビジネス

 

をお伝えします。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

建設会社を3か月で解雇

 

テメーみてぇーな低能を雇ってやったんだ!感謝しろゴラッ!

 

こんなセリフを聞かされて、

若かりし頃の私は震える怒りを

抑えることが出来ませんでした。

 

酒に酔っていたとはいえ、

人事部長に手を出した私は即刻解雇

理由は、就業規則のなんたらで・・・とか。

 

よく分かりませんでしたが、

手紙1枚渡され解雇されました。

 

入社してから3ヶ月目の出来事です。

 

今考えれば、法的措置を取られていただろうと思うと、

時代に助けられたかなと思います。

 

30年も前の昔話。

 

 

たった3ヶ月の「新入社員」経験

 

そういえば、本社入り口の受付嬢は

結構かわいい人だったなぁ・・・

 

 

自分みたいな新人ペーペーなんか

見向きもされないと分かっていても、

気になってチラチラ見て、目の保養にしてました。

 

会社の人事って受付嬢は「」で選んでいますよね。

間違いないです。

 

 

人生のレールを突然「脱線」してしまったので、

とりあえず生活のためハローワークで雇用保険の手続きをします。

 

自己都合退社ではなかったので、保険が出たのです。

 

初めてのハローワーク。

 

 

各種保険の手続きや、求人を探す人達で大賑わいです。

 

当時はインターネット検索等は無かったので、

ファイルにある求人票から働き先を選ぶのでした。

 

何回かハローワークに通っていると、

見た事のある顔ぶれを何人か発見します。

 

だれだっけなぁ・・・

 

!!!そうだ、

高校の同級生だ!

 

懐かしさを感じながらも、

 

「あんたも会社辞めたのかい・・・」

「お互い辛いのぉ~」

 

なんて思いながら、

声をかけたいんだけど、

なんか気まずくて・・・

 

退職」したって、なんか恥ずかしかったです。

かっこ悪くて・・・

 

 

目も合わせる事もできずに、

負け組」はハローワークを静かに去っていくのでした。

 

会社をクビになるって想定していない事故です。

 

毎日会社に出かけていたのが、

やる事が急に無くなってしまい、

何をしていいかわからない。

 

私は毎日途方に暮れ、

明日が見えない毎日をダラダラ過ごしていました

 

そんなフラフラした時間が数か月過ぎたころ、

ある大型書店で運命的な書籍に出会います。

 

なぜその書籍が気になったのか?

なぜこのタイミングで目についたのか?

 

なんか吸い込まれるように

そのタイトルに引き込まれた感じで、

 

全6巻のその書籍を、

運命に引き寄せられた私は全巻購入し、

1日で一気に読破します。

 

読みやすい文章やストーリー

だったからかもしれません。

 

 

20数年生きてきて、

マンガ以外に、まともに本を読んだ事が無い男です。

 

小説、文庫本、伝記、全く興味がありません。

 

週刊少年ジャンプの

「ドラゴンボール」が大好きでした。

この頃はセルとの戦いぐらいだったかな・・・

 

 

学校の授業も「国語」と「英語」が大っ嫌いな科目でした。

ちなみに好きな科目は「体育」と「図工」です(笑)

 

その書籍を読み終えると、

私はそのノンフィクション作家の

足跡をたどる事にしました。

 

正に「若さ」の衝動。

 

私の運命を変えたその「書籍」とは・・・

 

生まれて初めてまともに読んだ本

 

「かつてシルクロードがあったのならば、

現代ならバスぐらい通っているだろう」

 

と考えて、詳細な計画は立てずに

勢いで日本を飛び出した主人公。

 

軌道に乗っていたルポライターの仕事を

すべて投げ出し、香港へと旅立ち、

陸路2万キロをバスでロンドンまで目指す旅を始めた。

 

なぜユーラシアなのか、なぜバスなのか。

確かなことは自分でもわからなかった。

ただ、

地球の大きさをこの足で知覚したかったのだ 。

 

 

 

若者を「」へと駆り立てる。

リュックひとつで世界を旅する

「バックパッカー」のバイブル。

 

沢木耕太郎さん著、「深夜特急」。

 

みなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか?

 

たった一人で世界を周る。

「冒険」「浪漫」

「自由」「憧れ」

「可能性」「人生とは」

青春時代の心の葛藤

 

たった一人で世界を旅するって、

単純に凄い事だと思います。

 

 

私は英語が喋れませんし、

社会人で家庭生活があったなら、

 

時間が無い、

お金が無い、

勇気も無い、

パスポートも無いし・・・

 

いろいろできない理由が出てきそうです。

 

 

それでも、

 

今から約50年も前に、

26歳の若者だった沢木耕太郎さんは、

 

香港からイギリスまでの、

ユーラシア大陸横断バス旅行に飛び出します。

 

なんて勇気があって、

なんてかっこいいんだ!

 

沢木さんの冒険ストーリーに引き込まれた私は、

いてもたってもいられず、「俺も旅に出る!」・・・

 

無計画な貧乏旅行に、

こころトキメカセテいるのでした。

 

これを読んでくれているあなたへ、

私は50代になってつくづく思います。

 

 

「若さ」って、

無限のエネルギーだなって。

 

 

 

めんどくさい

ダルイ

お金がない・・・とか

 

 

色々あるけど、

何とかなるし!って

根拠のない自信があったりして。

 

将来どうなろうと「今」を全力で生きる!みたいな感じ。

正に「青春」

 

 

 

私が50代でも、コンテンツビジネスに挑戦出来るのは、

「青春」を忘れていない気持ちからかもしれません。

 

 

私は落ち込んだ時、

前へ進めなくなった時、

暗く、不安で、明日が見えなくなった時、

このセリフを思い出すのです。

 

 

「はじける若さがあるから

オレたちは立ち止まるのはごめんだ」

「たぎる情熱にカラダゆすって

ただひたすらに走り続ける」

「振り返る過去はいらない」

「明日はいつも激しい輝きを見せて

オレたちに挑んでくる」

「不安と期待と絶望と希望と

めくるめく変幻自在の

波のタペストリー」

「 明日」

「彼方に待ち受けるのは何だ」

「ひろがる彼方みつめつつ

オレたちはただひたすらに

明日に挑む」

「振り返るのはゴメンだ」

「立ち止まるのはゴメンだ」

「あふれる情熱は若さの片道切符

命にぎりしめ ただ行くだけさ!」

 

 

このセリフに何度も勇気づけられて

ここまで生きてきました。

 

会社をクビになったって、

何とかなります。

 

本をまともに読んだ事が無くったって

何とかなります。

 

 

失敗して回り道したっていい。

失敗して転んでもいい。

失敗して後悔したっていい。

 

でも、後ろ向きには倒れるな!

 

前向きに倒れたらなら

また立ち直れる。

「七転八倒」

 

失敗して学ぶ事

それが人生を前に進める

 

失敗こそが我が人生さ!!!(←超強がり)

 

生まれて初めての海外旅行

 

私は、「深夜特急」にあこがれて、

世界へ飛び出すことにしました。

 

 

英語もしゃべれない。

お金もそんなに持っていない。

勇気や自信だってない小心者。

 

それでも、

あふれる若さと情熱で

後先考えず前に進んで行った

 

 

海外旅行には、

「パスポート」が必要な事は理解していたから、

 

パスポートセンターへ行き、

手続きを進めます。

 

あわせて、旅費を捻出するため、

日雇いのアルバイトに精を出す!

 

生きる目的があると、

なんだかつまらない仕事でも耐えられる気がした

 

派遣先での単純作業。

 

商品の検品、

引っ越し作業、

夜間工場ライン・・・

 

ただひたすら日銭を稼ぐ日々。

 

 

でもなんだかワクワクして充実感のある毎日

 

それは、「深夜特急」の

あこがれた世界へ旅立つ「希望」があったから。

 

私は、貯金とアルバイトで「50万円」をつくり、

無計画な旅に出ようとしていた。

 

タイ マレーシア シンガポール ベトナム

 

リュック1つを抱えた私は、

夢と希望と自由と50万円を抱え、

成田空港へ降り立った。

 

 

リュックの中身は衣類ぐらい。

パンツは3枚だったのを覚えている。

 

深夜特急では「香港」がスタート地点ですが、

私は「タイ バンコク」へ向かいました。

 

なぜタイに向かったのか?

 

 

 

私は学生時代に「キックボクシング」を

少しだけ習ったことがあり、

 

そこは「港太郎」さんと言う、

ミドル級チャンプのいるジムで、

基礎部分を教えてもらいました。

 

チャンプの「キック」はやはり素人とは別次元です。

 

ミドルキックを腕でブロックしたとしても、

まともに入れば腕の「骨ごと砕かれる」感覚。

 

凄かったし、かっこよかった。

 

そんな「キックボクシング」が好きだったこともあり、

タイの本場「ムエタイ」が見たい!

 

こんな単純な理由から、

私の生まれて初めての旅が始まりました。

 

 

 

成田空港に来たことも初めてで、

キョロキョロどこに行っていいかわからない。

 

STAFFの方に聞きながら搭乗ゲートへと向かいます。

 

生まれて初めて乗る「ヒコーキ」!

 

もうここからワクワクが止まりません!

 

 

 

シートベルトを締めて、

アナウンスが入り、

飛行機が出発し加速していきます。

 

生まれて初めてのヒコーキの加速G!

 

富士急ハイランドの絶叫マシン

「FUJIYAMA」より緊張しました。

 

無事、安定飛行に入り約8時間ぐらいのフライト。

 

途中、機内食を食べながら、

タイでの未知なる出会いに胸を膨らましているのでした。

 

 

 

無事着陸し、飛行機が落ちなかったことに安堵しながら、

バンコクの街までどうやって移動するか考えます。

 

誰にも頼れなかったので・・・少し不安でした。

 

不安を吹き飛ばしてくれたのは、

タイ空港に降り立った瞬間感じた「異国感

 

それは、今までの人生で経験の無い、

熱気と湿度と匂い。

 

からみつく空気、

香辛料のような、いかにもアジアンテイストな香り。

 

外国に来たんだ!

たった一人で。

 

 

 

ワクワクな気持ちが不安を包み込み、

希望の風を感じさせるのでした。

 

そんな気分に浸っていましたが、

日本円の現金をタイバーツへ

両替しなければなりませんでした。

 

両替のレートなんて、その時は知りません。

 

 

空港内の両替所を見つけたら、

そこで両替をとりあえずしました。

 

英語しか通用しないのは分かっていたので、

何とかしなきゃと思いながら、

現金を渡すと、言葉は通じなくても何とかなりました。

 

お金は言葉がいらないツールです。

 

タイバーツを握りしめ、

リュックを背負って空港玄関を出ようとすると、

 

タクシーの運転手たちが、

へいへい言って寄ってきます。

 

日本人の「カモ」が来たぜ!って

心の声が聞こえてくるようです。

 

空港からバンコク市内までは距離があるので、

タクシーがいいと言う事らしいですが、

 

いかにも怪しげな外国人たちに囲まれながら、

いくら?なんだと聞きながら、

 

「ハウマッチ?」

「ハウマッチ?」

 

「お金」をぼったくられ無いように、

頑張って値段交渉する旅初心者でした。

 

 

 

バンコクの安いホテルはどこかと聞くと、

カオサンストリートと言う、

 

世界中のバックパッカーが集まる

「バックパッカーの聖地」があると言うではありませんか。

 

 

私は迷わず「そこに行ってくれ」と頼み、

タクシーに身を任せ、

見知らぬ夜のバンコクで、

バックパッカーの聖地に向かうのでした。

 

 

タクシーメーターの数字で支払額を確認し、

たぶんボラレて無いと言う期待を込めて

タイバーツを払いました。

 

 

カオサンストリート

 

そこはまるで眠らない街「新宿歌舞伎町」のように、

ネオンと喧噪と欲望が入り交じり、

 

そこに絡みつく湿気と、

ナンプラーの香りが興奮をかき立てます。

 

路上を埋めつくすかのような様々な屋台群。

 

オープンカフェで陽気に飲んだくれている外国人たち。

 

スカートの短いお姉さんが、

何人も路上で呼び込みをしているキャバクラ・・・

 

 

外国初心者の私は、

夜の繁華街をうろうろしながら、安いホテルを探します。

 

通りすがりの外国人に、

「チープホテル?」

「Where?」

片言の英語で話しかけます。

 

すると、リュック姿の私を見て

「安い宿を探しているな」と察してもらい、

親切にも安いホテルまで案内してもらいました。

 

「外国人やさしい~(涙)」

 

 

まるでショッピングセンターで迷子になった子供の、

お母さんが戻ってきてくれた時の気持ちでした。

 

狭い路地に入り、怪しげなビルの1階。

 

受付の女性は慣れた感じで、

 

1泊?

 

エアコン?

 

とか聞いてたと思います。

 

「ハウマッチ?」

得意な英語はこれ一つ。

 

日本円でエアコン付きで1,500円ぐらい、

扇風機で1,000円ぐらいだったかと思います。

 

迷わず安い方を選び、

部屋へ案内されます。

 

狭い部屋にベッドが一つとシャワーがあり、

壁に扇風機がついているだけの部屋。

 

日本で生活していたころと比べると、

牢獄に入れられたかのような生活レベルの急降下

 

でも、若かりし頃の私はその環境に即座に順応し、

新たなる旅路の始まりを、かみしめているのでした。

 

 

翌朝、ホテルを出て朝食を食べる事にしました。

 

昨日の夜の雰囲気とは全く違う顔のカオサンストリート。

 

路上のあちらこちらに「野良犬」が横たわっている。

 

清潔な日本では見られない、カルチャーショック

狂犬病とか、気にしないんでしょうね。

 

うろうろして帰り道が分からなくならないように、

周りを良く見渡しながら、

ごはんが食べられるところを探します。

 

 

すると、繁華街の一角に地元民らしき人々が

食事をしている風景も出てきたので、

お客さんが入っているお店に突入します。

 

メニューを見ても文字が読めないので、

指差しジェスチャーで、

これ!

これ!

ワン!(1個)

 

もう英語でもありません。

ボディーランゲージで意思を伝えます。

 

それでもなんとか理解してもらい、

朝食を頼むことが出来ました。

 

こんなワクワクドキドキの一人旅。

 

 

 

旅に慣れるまで、

カオサンストリートに数週間滞在していました。

 

タイでは、

寺院を廻ったり、

パタヤビーチというリゾートへ行ったり、

 

ムエタイの試合を見たり、

毎日、刺激のある日常を過ごしながら、

ただ、旅情に浸る毎日でした。

 

ここで辛い思い出を一つ

 

タイで病気になった時、

誰にも助けてもらえない!

そんな地獄を経験しました。

 

 

 

言葉も通じない、

場所も分からない、

救急車の呼び方も分からない。

 

旅の初心者の私は、

突然、高熱に襲われ、

動けなくなります。

 

寒気がして、

体が痛い。

 

全身に力が入らず動けない

 

インフルエンザで高熱が出た時のような症状。

 

記憶が定かではないが、

ベッドで死を待っているより、

何とかしなければと、

 

路上に出て助けを求めていました

 

 

 

エクスキューズミー

エクスキューズミー

 

「助けてくれ!」

 

と必死に片言の英語で話しかけるも、

スルーされて、本当に辛かった。

 

しばらくして助けてくれたのは、

私服姿の中学生ぐらいの女の子2人組

 

近づいてきてくれて、

ニコニコしながら私の様子を見ている。

 

 

私はわらをもすがる気持ちで、

ホスピタル(病院)

ホスピタル(病院)

 

か弱い声を絞り出し、

体が辛いと訴えかけた。

 

英語が通じたか分からないが、

指をさして案内をしてくれている。

 

病院の行き方を教えてくれているようだ。

 

 

とても歩ける状態ではないので、

近くのタクシーを捕まえて、

その女の子たちに連れて行ってもらいました。

 

到着した病院に着くと、

中に入り看護師らしき人に説明して、

私を中に導いてくれました。

 

 

かなり衰弱していた様子から、

診察室に連れていかれ、

医師の診断を受けることが出来ました。

 

そこは結構大きな病院で、

なんと日本語が話せる看護師さんがいました。

 

 

症状を伝え、

直ぐにベッドに連れていかれ、点滴を受けます。

 

九死に一生を得る!とはこの事かと思うぐらい、

「こんな所で死ぬのか!」なんて落ち込んだ瞬間でした。

 

 

 

少しの間眠っていたようです。

 

起きてみると、

体の痛みが和らいでいることに気づきました。

 

これでダイジョブね!」

看護師さんがタイ語でそう言っているようでした。

 

点滴が終わると、

薬を処方してもらいました。

 

日本では見たことも無い、

真っ青のカプセル

 

いかにも毒々しい雰囲気の錠剤です。

 

その劇薬は、

見た目の通り、「劇的」に私の体を回復させるのでした。

 

元気になった私は、

案内してくれた2人の女の子を探します。

 

あたりを見回してもどこにもいません。

 

 

命の恩人にお礼をしなければ

 

そんな思いは、タイの熱風の中、

喧噪(けんそう)と共に消えてしまうのでした。

 

人生の中での一瞬の出会い。

そして、もう2度と交わることのない出会い

 

 

 

ひとり異国の地で孤独と向き合い、

「命の躍動」、

生きていることの実感を感じる出来事でした。

 

 

 

しばらくタイを満喫していると、

次の国「マレーシア」へ行こうと思い立ちます。

 

バンコクから長距離列車に乗って南下し、

「マレーシア」へ向かう旅。

 

タイの首都バンコクから

マレーシアのペナン島を経て、

 

シンガポールまで1900km余り、

マレー半島縦断の鉄道旅行です。

 

旅にこなれた私は、

列車のチケットを一人で買うことが

できるレベルに成長していました。

(ボディーランゲージですけども)

 

 

国境が陸続きのタイとマレーシアは、

入国審査を列車に乗りながら行います

 

途中駅で入国審査を簡単に済まし、

パスポートにハンコを押してもらうだけ。

 

ただ、気になったのは警備兵(警備員)の方が、

肩からライフルのM16

(ゴルゴ13が使用している銃)を所持していた事。

 

 

学生時代にサバイバルゲームをやった事があるので、

その銃は知っていました。

初めて見る光景にドキドキが加速します。

 

島国の日本ではできない経験です。

 

 

 

長距離列車も1等、2等とあり、

もちろん一番安い車両の切符を買います。

 

狭い2列の座席に、私とロシア人風の若者が座ります。

 

そのロシア人風の若者は、終始本を読んでいました。

 

 

私は車窓の風景をぼーっと眺めながら、

いつの間にか眠りにつきます。

 

眠っていると自然に足が開きますね。

股間がパッカーンと、しかも無意識に力が入り、

外へ向けて力強く開いてしまいます。

 

そして力強く開いた足が、

ロシア人風の若者の足を蹴り飛ばすがごとく、

「圧」をかけています。

 

 

足に衝撃が走り、私は目を覚まします。

 

ロシア人風の若者は、

私の足が邪魔だ!どけっ!」と言うがごとく

私の足を蹴り飛ばしてきました。

 

 

寝ぼけ眼で状況に気づくと、

とっさに、

 

「アイムソーリー」

「アイムソーリー」

 

流ちょうな英語で謝罪をしている、

若かりし頃の私でした。

 

 

 

数時間経ち、マレーシアに入国後、

バタワース駅で下車。

 

ここからフェリーに乗って、

リゾート地の「ペナン島」へ向かいます。

 

フェリーの出発時間が翌朝だったので、

近くにホテルも無く、

フェリー乗り場で一晩過ごすことになります。

 

 

夜でも暑い気候ですし、

周りに野宿をする方々も多数いました。

 

ペナンにつき、

安い宿を探します。

マレーシアの通貨は「リンギット」。

 

 

値段交渉も臆せず、

チョット安くして下さい。

ディスカウントプリーズ」が

平気で言えるようになっていました。

 

ペナンではビーチバカンス

しばらく楽しむ事になりました。

 

 

 

砂浜でボーっと日向ぼっこして、

波を眺めているだけの生活。

 

時間がゆっくり流れていきました。

 

 

ある時、毎日ビーチに現れる私に、

声をかけてきた英国紳士がいました。

 

その紳士は50代ぐらいで、

一人でバカンスを楽しんでいるようでした。

 

20代で外国人からみたら、

幼く子供のように映ったかもしれない私に近づき、

色々お話をしてきました。

 

片言の中学生英語しか喋れませんでしたが、

その紳士は、ゆっくり分かりやすい英語で

簡単な会話をしてくれました。

 

たぶん「なぜお前は一人で旅をしているんだ?」と

聞きたかったと思います。

 

 

でも、中学生英語の私は、

うまく説明できずに悩んでいると、

オーケーオーケーと優しく振舞ってくれました。

 

 

食事に行かないか?と誘われ、

屋台のヌードルを御馳走してくれたのです。

 

しかし私は、

なんでこのオジサンはこんなに優しくしてくるのだろう?

 

もしかして、僕の体が目的なのでは?・・・

なんて疑い始めてしまい、

なんか食事も喉を通らなくなってしまいました。

 

それを見た紳士は、

食べたくないなら無理しなくていいよ、

と優しくほほえみ、

 

「クリーニング」ほにゃらら・・・

 

「クリーニング」だけ聞き取れて、

多分、ホテルに戻り、

洗濯するから帰るね

と言っていたと思います。

 

 

おそらく、暗い表情の私といるのが

つまらなくなったんだと思います。

 

もう少し英語が喋れたら、

楽しい食事になったかもしれません。

 

 

ビーチリゾートに飽き始めたころ、

更にマレーシアを南下して、

首都クアラルンプールを目指します。

 

マレーシアの顔とも言える、代表的な建築物。

ペトロナスツインタワー

 

新宿の都庁ビルに少し似ている、

当時世界一高いビルです。

 

 

まだ建設中だった、世界一のビルを見ながら、

経済発展著しいマレーシアの街を散策します。

 

中華系の人々も多く、

食事は少し辛かったが、

無難に過ごすことが出来ました。

 

 

急速に発展している街は近代的で、

なんか長く居続けたいという意欲が起きませんでした。

 

2~3日でクアラルンプールを後にして、

シンガポール」を目指します。

 

マーライオンのシンガポール。

 

 

 

そんな予備知識しか持たずに降り立ったその地は、

整然としていてとても綺麗な街並み。

 

東京のような近代化した街並みは、

なぜかワクワクが消えてしまう

 

シンガポールをうろつきながら、

 

「自分はなぜこんな所にいるのだろう・・・」

 

 

目的も無く、ただゆっくり流れる時間に

身を任せている自分がふと不安になったりして。

 

 

なにか刺激を求めていたのかもしれない。

 

タイのカオサンストリートで感じたカオス的な感覚。

 

 

私は唐突に刺激を求めて「ベトナム」を目指す事に。

 

思い立ったら即行動

 

 

いてもたってもいられず、

タイまで、列車で来た道を一気に戻ります

 

帰り道の列車は、向かい合った4人掛けの座席に、

3人のロシア人家族と私。

 

 

チーズをむしゃむしゃ食べながら、

大声で談笑している家族の横で、

ぽつんと一人窓の外を見ているのでした

 

 

タイへ戻ると、

ベトナムホーチミンまでの航空券を手配します。

 

ここら辺の記憶はかなり飛んでいて、

でも、何とか自分一人で世界を旅行していました。

 

 

 

ベトナムへ飛行機で降り立ち、

繁華街やホテルを探します。

 

ベトナムの陽気はタイに比べ、過ごしやすく、

たぶん湿気が少なかったんだと思います。

 

新たなベトナムの「風」を感じながら、

うろついていると、

 

怪しげなオジサンが声をかけてきます。

 

 

YOーYOー

 

ジャパニーズ!

 

マイフレンド!

 

かなり馴れ馴れしいです。

 

 

こいつは何か売りつけてくる!と思い、

シカトしていると、

 

日本語でいっぱいに記された

ノートを見せてきました。

 

 

そのノートには、

今まで、このオジサンに観光案内をしてもらった

日本人観光客たちの日記が書き記されていました。

 

 

人力車で観光案内をしてくれるこのオジサンは、

効果的に客を信用させるため、

 

観光客にノートへコメントを

たくさん書いてもらっていたのでした。

 

 

そのコメントをつらつら読むと、

そんなに怪しくないのかな・・・

わざわざ嘘を書かないでしょ?と思い、

 

まんまとオジサンの策略に乗る私でした。

 

 

 

人力車へ乗り込み、

オジサンの案内が始まりました。

 

市内を一通り観光して、

ホテルに着くと、

ホテルの値段交渉もしてくれました。

 

 

私はこのオジサンと意気投合し、

しばらくの間一緒に過ごす事になります。

 

 

このオジサンと親しくなった私は、

 

家に遊びに来いよ!」

家族に紹介する!って、

 

日本製のバイク、「世界のカブ」に乗り、

オジサンの家族の元へラチられます。

 

 

 

当時のベトナムは、高度経済成長の真っ只中。

超高層ビル群があると思いきや、

スラム街が直ぐ足元に展開していて、

 

スーツ姿のエリート会社員が、

携帯電話で話している傍(そば)に、

物乞いをしている高齢者がはいつくばっている。

 

高齢のおばあちゃんは、

その辺でおしっこを平気でしているようなカオスぶり。

 

 

市街地でボーっとしていると、

私が日本人だとわかった子供たちが寄ってきます。

 

何人も何人も寄ってきます。

 

 

身寄りのない子供たち

 

観光客目当てに、物を売ってきます。

 

造花やお菓子、手作りのお土産みたいな物まで・・・

 

1ドル!1ドル!

 

「買ってちょうだい」

 

 

 

命をつなぐために小さな子供が物売りをします。

 

その中でも、お話が上手な男の子がいました。

その子は、小学校低学年ぐらいの身長で、

英語が得意でした。

 

 

日本人観光客から教わった

「へんな日本語」も知っていました。

 

その子はちょこんと隣に座り、

親しげに色々なお話をしてくれます。

 

 

かわいいな~なんて思いながらも、

 

お金をあげる行為は、

この子たちの為になるのだろうか?とか

複雑な気持ちにもなりました。

 

 

結局1ドルぐらいで

「風船」を買ってあげたのですが、

 

後から聞くと、1ドル(日本円で100円)は、

ぼったくり価格で、本当は数円レベルの物だと知りました。

 

 

その男の子の歳を聞くと、

世界を知らない平和ボケした私は、

衝撃の事実を突きつけられます。

 

 

 

小学校低学年にしか見えなかったその子は、

17歳だと言いました。

 

 

 

生まれてこの方、食べるものがほとんどなく、

栄養不足で成長できずにいたのです。

 

 

そんなストリートチルドレンが、

あちらこちらにいる光景に呆然としながら、

 

今、旅に憧れて優雅にふらついている

自分の境遇を考えさせられるのでした。

 

 

 

カオスな空間に没入しながら、

こんな刺激を求めていたのか?

 

でももっと世界を見てみたい。

そんな俗なる欲求のままに、

 

 

 

オジサンのカブで、

「ノーヘル」の2人乗り。

 

未知なる土地へ突入していきます。

 

 

市街地を抜けて、舗装されていない土埃の舞う道路を

ひたすら田舎方面へ向かっていきます。

 

 

自分が今、

どこにいるのかさっぱりわかりません。

 

 

こんな所で事件が起きても、

迷宮入りだななんて思うぐらいに、

人気のない集落へ連れて行かれました

 

 

 

市街地から何キロ走ったのか分かりません。

 

遠い所に連れて来られて、

掘っ建て小屋のような建物に案内されると、

オジサンの家族が出てきました。

 

お母さんと弟。

 

3人で暮らしているようです。

 

 

弟さんはパンツ一丁で出迎えてくれて、

とても陽気な方でした。

 

そこでオジサンの家族と寝食を共にして、

まるで家族の一員になったかのように

暮らしている私でした。

 

 

 

数か月前サラリーマンをやっていて、

首になり、アルバイトをしていた私です。

 

この様な生活など想像もつきませんでした。

 

 

 

もうどれくらい時間が経ったのだろう・・・

 

 

 

所持金の残額を見ると、帰りの航空券代を除けば、

ほとんどお金が残っていませんでした。

 

深夜特急に憧れて、日本を飛び出した私は、

半年余りで、所持金がなくなり帰国する事になりました。

 

日本人に生まれてきただけで

 

世界を旅して様々な国民に触れてみると、

改めて、日本人で良かったなと思うことが出来ます。

 

 

 

日本で生まれても、「親ガチャ」に外れた私は、

虐待に合ったり、いじめに合ったりしていました。

 

すごく辛い人生を歩んでいる方もいると思います。

 

 

 

しかし、それとは別に

諸外国との住みやすさを比較すると、

日本の良さが際立ちます。

 

 

 

日本はどんなに田舎に行っても、

ほとんどインフラは整備されて、

不便なところは無いでしょう。

 

 

セーフティネットも充実していて、

困れば「生活保護」も受けられますし、

国民皆保険で安く病院にかかることも出来ます。

 

 

ある統計によると殺人事件の発生率が、

日本が0.4%に対してアメリカが4.9%、

メキシコにおいては何と23.7%だそうです。

 

 

また大きな災害が起きたときでも、

暴動や略奪が起きないなど治安が安定しています。

 

 

夜一人で歩いていても安全だとか、

落とした財布が戻ってくる確率が高い、

 

街が清潔できれい、自然が美しい、

水道水がそのまま飲める、など

 

日本の良いところを挙げたらキリがありません。

 

 

日本しか見えていなかった当時の私は、

世界を少し感じただけで、

日本の素晴らしさを再認識するのでした。

 

ノマドワーカーコンテンツビジネス

 

実業とインターネットビジネス両方で

月収100万円を稼いだ結果、

今はパソコン一つで生活が出来る

ノマドワーカー」のような生活にシフトしています。

 

 

 

場所にも時間にも束縛されず、自由に仕事を選べる

 

 

かつて会社経営をしていた頃は、

会社の場所にとらわれ、

精神的な自由もありませんでした。

 

 

今の様な心からの自由な生活が出来るのも、

働き方を「コンテンツビジネス」に、

変化」させたからだと思っています。

 

 

圧倒的に違う「解放感」と「安心感」

 

 

私のように元情弱で、ド底辺の生活をして、

回り道をして来たネット音痴の中高年であっても、

 

再現性が高く、

正しい努力さえすれば

成果が見える「コンテンツビジネス」が

最も効率の良いビジネスであり、

豊かな人生と「安心感」を得られる手段だと思っています。

 

 

 

中でも私の場合、

ストレスからの解放感がとても大きかった。

 

 

雇用されれば、

解雇や左遷(させん)、パワハラ、などが付きまといます。

 

 

雇用する側に立てば、

人手不足、人間関係のトラブル

収益確保の責任、税務調査に身構えたり。

 

 

収入が上がっても、

ストレスからは解放されませんでした。

 

 

 

「幸福」ってどこにあるのですか?

 

ハッキリ言って「幸福迷子」な日々でした。

 

 

そんな幸福迷子で中高年の私が、

令和の時代になってからコンテンツビジネスで

成果を出せたのも、「良いメンター」に出会い

正しい努力をしたからです。

 

 

 

きっとこれを読んでくれているあなたも、

今からでも決して遅くはないです。

 

あらゆる投資ビジネスもコンテンツビジネスも

数十年前からビジネスの「本質」は変わっていません。

 

 

 

例えば、ロバートキヨサキさんの

「金持ち父さん貧乏父さん」は、

不動産投資の話で有名ですよね。

 

初版が1997年に発売された不動産投資のバイブルですが、

30年近く経った今でも不動産投資の手法は変わりません。

 

 

つまりあなたも私のように、

コンテンツビジネスで成功を掴む

チャンスと可能性がある!」

 

私はそう信じています。

こんな私でも成功を掴むことが出来たのですから。

 

サラリーマン時代、酒屋で愚痴っていた過去の自分に教えてやりたい話

2023年12月22日

1日で300部売れた人気の電子書籍が読めます

私は実業で年商3億・2社売却した後、
ゼロからコンテンツビジネスに出会い、
50代でも月収で100万円以上を自動的に稼いでいます。

環境や才能に恵まれたわけでもありません。


もともと虐待やいじめを受け
精神的に未成熟なまま
ド底辺のアルバイト生活を
送っていた私です。


そんな私が、
コンテンツビジネスとメンターに出会い、
正しい方向性で少しだけ真剣に取り組んだところ、
簡単に本物の自由と幸福を得ることが出来ました。


コンテンツビジネスを学ぶ過程では、
コンテンツを作る方法や
価値を届ける方法など、
普通じゃ学べないことを知ることができました。


環境や才能に恵まれなかったとしても、
正しく学んで正しく実践すれば
だれでも活躍できると確信しています。


そして同じような人が増える事で、
失われた30年を乗り越えて
活気のある良い世界になるのではと
本気で思っています。


そのような理念から、
私がどの様にビジネスに取り組み、

今の資産を築き上げ、

生活に困らない潤沢な  「お金」
会社に拘束されない   「自由な時間」
過ごしやすく居心地の良い「場所」
ストレスを感じない   「人間関係」

を手に入れたか、
そのリアルな軌跡と成功体験を
一つの書籍にまとめています。


この電子書籍は
過去にSNSにて
1日で300部売れた人気の作品です。

現在、もう販売は停止し、
メルマガのなか限定で公開しています。


ストーリー形式のため
約20分程でスラスラと読むことが出来ます。
ぜひ興味があれば読んでみてください。


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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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