【歌舞伎町愛本店】でまったく売れなった元ホストが起業で成功した話

こんにちは京介です。

私は現在、ゼロからのコンテンツビジネスで

毎月100万円越えの不労所得を得ていますが、

 

ここまでの人生に至る前は、

フリーター→ホスト→サラリーマン

→脱サラ起業→福祉事業を含む3社運営をしていました。

この記事の結論は

 

・正しいやり方と努力をすれば、あなたも成功できる

・実業=起業はプロでも失敗する

・コンテンツビジネス最強説

と言う事です。

 

紆余曲折(うよきょくせつ)がいろいろありすぎた50余年。

かなりの遠回りをしてきた人生です。

20代の貴重な時間をフリーターで無駄に過ごした日々。

 

その貴重な時間は二度と戻っては来ません。

 

50代になり「快活な生命の時間」が

少なくなってきたからこそ切実に感じる

「時間」=「命」の大切さ。

 

ここでは、時間を無駄にしてきた私の失敗談と、

そこから一念発起し「起業」で成功するも、

「真の幸福」は得られず、

結局、「コンテンツビジネス最強」であるという

お話をしていきます。

どうぞ最後までお付き合いくださいませ。

ド底辺の男、歌舞伎町に立つ

 

親ガチャに失敗した私は、

虐待といじめの環境から、

自ら考える」事をしなかった。

 

夢も希望も見いだせず、

将来の事など微塵(みじん)も考えた事が無かった。

 

その日暮らしの日々。

日雇いアルバイトで、

単純作業を行い、日給7000円ぐらいを稼ぐ。

 

工場の夜勤で、

ただひたすら流れてくる

ペットボトルの不良品を監視したり、

〇〇乳業でヨーグルトの容器補充なんかをしていた。

 

どこで働く人も「目が死んでいる」。

 

むろん私も。

 

機械の一部となって、

ひたすら時間が来るまで単純な肉体労働をするのだ。

 

ある派遣先での会話が今でも忘れられない。

 

「こんな所にいたら俺たちみたいな世捨て人になっちゃうよ」

 

中年の男性が若かった私に対して、

少しでも先輩面して人生の「なにやら」を

語ってみたかったのだろう。

 

切ない・・・切なすぎる。

 

 

 

そんな非生産的な時間を過ごしていた私は、

」が欲しいという欲望のままに

夜の世界へと足を踏み入れた。

 

夜の世界「ホスト」

女性にちやほやされ、

高級品をまとい、

 

高級なシャンパンを飲み、

高級車に乗ってドヤる。

 

ホストになればそんな華やかな人生が送れる。

そう思っていた。

 

思い立ったら即行動!

 

私は山手線の網棚に捨ててあった

スポーツ新聞の求人欄に

ホストの求人が載っていないか探した。

 

 

あったあった

小さい記事だったが、

怪しい夜の匂い」のする文字が。

 

 

 

高給アルバイト募集

僕の部屋」・・・

 

何の予備知識も無い私は、

「高給」につられて「僕の部屋」へ連絡をした。

 

電話の案内通りにたどり着いた場所は、

新宿2丁目あたりのスナックのような小さい店舗。

 

ここで勘の良い方は既にお気づきであろう。

 

 

このお店、男性と男性の出会いの場だったのです

 

店内のカウンターでお話を聞いている途中から、

 

「あれっ?なんかこれ違うよなぁ・・・」

 

ホストじゃないよねぇ・・・

 

若かった私は、理解するのに時間がかかってしまった。

 

そそくさと店を出て意気消沈しながら歌舞伎町方面に向かい、

彷徨っていると、金髪のいかにも「ホスト」な人物を発見。

 

この出会いが運命を変えたといっても過言ではない。

 

ジャストなタイミングの出会いでした。

 

私は、なりふり構わずそのホスト風な人に声をかけた。

 

 

あの・・・ホストの方ですよね?

 

「実は、ホストになりたくてお店を探しているんです。」

 

「お店知りませんか?」

 

いきなり知らないガキからのド直球な質問に対し、

 

「あぁ・・・ちょうど先輩が新人を探していたんだ、

紹介してやるよ!」なんて、

懇切丁寧な神対応。

 

 

 

この方は「フミヤ」君と言い、

歌舞伎町で、いや当時全国一有名だった

ホストクラブ「愛」本店のホストさんでした。

 

「フミヤ」君の所属しているグループの

リーダー「S」さんを紹介され、

即入店の手続きをするのでした。

 

この時25歳。

ホストとしてはかなり遅いデビューです。

 

伝説の男、その名は「零士」さん

 

歌舞伎町愛本店は、

直ぐ近くに「ニュー愛」という姉妹店がありました。

 

そこに所属していた、

当時、全国に名を轟かせた

伝説の男「零士」さんに何度かお逢いしました。

 

「オーラ」、

「華」、

「自信」にみなぎる男らしさが、

ド底辺の私を圧倒していました。

 

日焼けした凛々しい面構え。

鍛え上げられた上半身。

面白いトーク。

それでいて上品な立ち振る舞い。

 

男の私が、乙女な目で見てしまうような

そんな存在でした。

 

超一流に触れた貴重な時間でしたが、

それを生かすことは凡人の私には

到底出来もしませんでした。

 

新人の私の主な仕事は「電話番」。

 

お客様からの予約の電話を受け取る係です。

 

地下1階の店舗は、携帯の電波が届かなかったため

お客様はお気に入りのホストに連絡するのに

店に電話をかけていました。

 

「お電話ありがとうございます、愛本店です」

 

電話を取り、問い合わせのホストに電話をつなぐ。

人気のホストはしょっちゅう電話が鳴ります。

 

華やかな世界にいるにもかかわらず、

売れない雑用係の私は

ここでも「ド底辺」を味わうのでした。

 

ホストに求められる能力は顔だけじゃない

 

愛本店では月の売り上げが

10万円を越えると新人を脱出できます。

 

新人を脱出すると、電話番から解放され、

出勤時間を遅く出来るのです。

 

 

だいたい、ブランデーの

ヘネシー」を1本入れると

5万円ぐらいの売り上げでした。

 

この時のホストクラブの料金って

何重にも税金を重ねて金額を釣り上げていました。

 

酒屋さんで5000円で売っている

ブランデーの値段が、ホストクラブでは

70000円の値段がついていた時に、

あまりにも大きな金額過ぎて

カルチャーショックを覚えた記憶があります。

 

 

うだつの上がらない私は

下っ端の電話番を半年も続けることになります。

 

先輩のヘルプで生計を立てていた私は、

月収が10万ぐらいで、

先輩の家に居候(いそうろう)をしていました。

 

そんなある日、先輩のお客様の友人が

あまりにもお粗末な私を哀れみ、

指名をお情けで入れてくれたのです。

 

初めての「指名

お涙ちょうだい!でもらった指名でも

とっても嬉しかったのです・・・情けない

 

こんな私でも高級なプレゼントをもらった事があります。

 

デュポンのジッポーライター

 

当時のホストは皆、持っていた代物です。

だいたい7万から10万円ぐらいしたと思います。

 

ふたを開ける時の「カッキーン~」という

甲高い金属音が高級感を感じさせます。

 

それを使い、お客様や先輩のタバコに火をつける。

そんな下っ端なホストもどきでした。

 

なぜ私が売れなかったのか?

 

当然です。

 

顔は3流

 

トークも3流

 

おまけに酒はほとんど飲めないし、

 

女性経験も少なかったため女ごころなんてわかりません!

(↑偉そうに言うな!)ですよね・・・

 

しかしながら、

たしかに「美男」は多かったですが、

 

かと言ってそのホストが売れていたかと言うと

そうではなかったのです。

 

NO.1からNO.10ぐらいの幹部クラスの方々は、

やはり影の努力があったと思います。

 

営業時間が終わってからの時間の使い方。

お客やキャストに対する気遣い等、

やはり売れるための「正しい努力」をしていました。

 

 

 

寝る間も惜しんでアフターしたり、

体を鍛えて、男らしさを演出したり、

私はそんな当たり前の努力が出来ない

なんとも情けない人間だったのです。

 

ナイスパスから仲間がNO.1に

 

ある日の比較的早い時間帯、

ご新規で大阪からあるご家族が来店しました。

 

品の良いお母様とその娘さん。

そしておとなしそうな普通の若者は娘さんの彼氏でした。

 

早い時間帯は売れっ子のホストは

ほとんど出勤しておらず、

店内はお茶を飲んで暇している

売れない連中のたまり場になっているのです。

 

私は3名様の席に着き、

特におもてなしも出来ずに

接客をそつなくこなしていた所、

お母さまが

ダンスがしたい」というではありませんか。

 

愛本店は生演奏するステージと

ダンスホールがある店舗で、

私は少しだけダンスのレッスンを受けていたので、

 

横浜ジルバ、通称「ハマジル」を

お母様とご一緒させて頂きました。

 

そのお母様には、気をよくしてもらい、

フルーツ等なんでも取ってください」と

注文をしてくれたのです。

 

しかしながら・・・

人を見る目のない、売れないホストの私です。

 

フルーツ盛が5000円~、

ブランデーも1本何万円もします。

 

そんな高いの頼まなくていいですよ~~~

 

ホストあるまじきコメント・・・

 

 

 

私のこの時の金銭感覚は

ド底辺のバイトと同じで、

 

とても何万円もする飲み代を

一般人に払わせられないなんて

思っている愚か者でした。

 

これ以上、この方を楽しませられないなと思い、

ダンスの得意だった同じグループの「M」君に

このお客様を紹介(ナイスパス)したのです。

 

 

 

M君も関西出身で、このご婦人と話が合い、

ダンスも相性が良かったようで、

とても良いお客様になったようでした。

 

後日、M君を指名してそのご婦人が再来店しました。

 

惜しげもなく高級ブランデーを入れていきます。

フルーツも2万円分頼みます。

ヘルプで着いたホスト達にお小遣い1万円を配っていきます。

 

そう

超お金持ちです。

 

超超超ぐらいのお金持ちでした。

 

聞くところによると、

大大企業(超有名不動産会社)の社長婦人で、

 

月に1千万単位の飲み代を使い、

M君にはいきなりお小遣い400万円を贈呈し、

 

挙句の果てには、M君にたった数か月で

3千万のマンションを買い与えていました。

 

M君はあっという間にNO.1

歴代の記録もごぼう抜きです。

 

私がパスしたお客で、

超リッチになったM君。

 

うらやましかったですが、

それよりも情けなく、

 

本当に向いてない・・・

本当にかっこ悪い私でした。

 

先輩の夢は自分の店を持つこと=起業

 

いつかは自分の店を持ちたいんだ

よくいろいろな先輩方から効くセリフでした。

 

なんか水商売のパターンなんでしょうか。

当時はそんなストーリーが流行っていたのかもしれません。

 

伝説のホスト「零士」さんも

愛グループを抜けて自分のお店をオープンしてましたね。

同業からかなりの嫌がらせがあったようですが・・・

 

私のグループのリーダー「S」さんも、

愛で働きながら、自分のお店を開業しました。

 

私は「パシリ」でいろいろ店舗の

お手伝いをさせられていました。

 

歌舞伎町での店舗開業。

 

 

小さい店でもそれなりの家賃がかかります。

従業員を雇えば固定費が上がり、

数百万〜の売り上げを稼がなくてはなりません。

 

仲間内で盛り上がるには楽しいかもしれませんが、

経営的にはかなり厳しく、

 

夢の城の主になったものの、

経営は売れっ子ホストでも難しかったようです。

 

風の噂で聞いたところ

数年でつぶれたようでした。

 

 

私はこんな生活を約2年ほど経験し、

水商売のどろどろした世界に嫌気がさし、

ホストの世界から

逃げるようにして去ったのでした。

 

もしこの肉体が20代に戻れたとして、

今の人間性ならホストとして活躍できるのでは・・・

 

なんて思ったりもしますが、

そんなに甘くはない世界。

 

今となっては「黒歴史」、

いい思い出です。

 

正しいやり方正しい方向性

 

私はホストからサラリーマンへ転身し、

起業」をします。

 

長い長い下積み生活を経て

「起業」により

暗いトンネルを抜けることが出来ました

 

「お金を大きく稼ぐ」事を目的としたならば、

「ホスト」という選択は間違ってはいません。

 

しかし、なぜ私が成功できなかったのか?

それは、正しい努力怠っていたからです。

 

人の倍努力し、

人の倍勉強し、

「お金を稼ぐ!」との強い意志を持ち続ける。

 

そんな努力をしていないヤツが

成功するはずがありません。

 

だからこそ、

「起業」した私は2千万円という莫大な借金を背に

馬車馬のように働き「努力」をしました。

 

24時間365日

仕事に向き合いました。

 

これは正しい努力と方向性です。

 

月収10万円のホストから、

起業して役員報酬100万円の

代表取締役になったのです。

 

これを読んでいる「あなた」は

どう感じたでしょうか?

 

 

 

ド底辺フリーターだった私でも

正しい努力をすれば

月収100万円を達成できたのです。

 

挑戦すれば

 

行動すれば

 

お金を稼ぐことは

叶うと思いませんか?

 

 

きっと出来ると思うのです。

だってこんな「出来損ない(デキソコナイ)」の

私が出来たのだから

 

 

 

しかしながら・・・

私はあまりにも遠回りをしすぎました。

 

現在、SNSを起点にしたコンテンツビジネスで

毎100万円越えの不労所得を得ていますが、

ここまで到達するのに50余年

 

 

あまりにも時間がかかってしまった

コンテンツビジネスであれば

正しい努力をすればたった3ケ月で成果は出ます。

 

もっと早く知っていれば・・・

後悔が後を絶たずです。

 

 

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私は実業で年商3億・2社売却した後、
ゼロからコンテンツビジネスに出会い、
50代でも月収で100万円以上を自動的に稼いでいます。

環境や才能に恵まれたわけでもありません。


もともと虐待やいじめを受け
精神的に未成熟なまま
ド底辺のアルバイト生活を
送っていた私です。


そんな私が、
コンテンツビジネスとメンターに出会い、
正しい方向性で少しだけ真剣に取り組んだところ、
簡単に本物の自由と幸福を得ることが出来ました。


コンテンツビジネスを学ぶ過程では、
コンテンツを作る方法や
価値を届ける方法など、
普通じゃ学べないことを知ることができました。


環境や才能に恵まれなかったとしても、
正しく学んで正しく実践すれば
だれでも活躍できると確信しています。


そして同じような人が増える事で、
失われた30年を乗り越えて
活気のある良い世界になるのではと
本気で思っています。


そのような理念から、
私がどの様にビジネスに取り組み、

今の資産を築き上げ、

生活に困らない潤沢な  「お金」
会社に拘束されない   「自由な時間」
過ごしやすく居心地の良い「場所」
ストレスを感じない   「人間関係」

を手に入れたか、
そのリアルな軌跡と成功体験を
一つの書籍にまとめています。


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ストーリー形式のため
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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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